このブログの更新日は2024/05/29です。
私は生きづらさを感じながら、生きています。
一時期は克服したと感じていました。
しかし、まだ自分と向き合えてなかったことに気づき、今もなお生きづらさを感じ続けています。
どんなことで生きづらさを感じているかというと
常に孤独感
コミュニケ―ション不安
自分が大嫌い
自信が持てない
常に責められていると感じる
人が信用できない
お金に困っている
自立できない
ある日、Instagramで「アダルトチルドレン」という文字を見つけました。
その時、気になってみてみると、何となく自分に当てはまる・・・
ネットで調べると、カウンセラーの方が自分も「アダルトチルドレンだった」というブログを書いていました。
さらにその内容がやはりかなり自分に当てはまる・・・と
特に、恋愛においてや、コミュニケーションが苦手であること、人が信用できないことなどが、自分と一致していました。
その後、ある日姉と昔話していて、「(親が)本当に怖くて逆らうことを諦めていた。何か言ったら怒られると思っていた。
だから、嫌なことも嫌と言えず、頑張り続け、それでも褒められない日々が続き本当に苦しかった」と。
このようになかなかこの記憶から抜け出せず、今もなお、姉は寝る前に思い出して、歯を食いしばる癖があるそうです。
姉はいい旦那さんに出会い、支えてもらって幸せですが、一方で、旦那さんへの依存から卒業できないそうです。
私は「いい年して、いろんな悩みを親のせいにしていいものなのか?」と未だ悩みます。
親に感謝をしなくてはならない部分と、それとは反対にトラウマな部分が交差し、その結果、何にどうぶつけていいかわからないまま今にいたります。
このブログは私の体験談をシェアをしたく記事を書きました。
私と同じような体験をしている人が共感し、気づくきっかけになればと思います。
最後に、気づいた先には誰かに頼り、克服できる世界に進めることを願います。
このブログでわかること
アダルトチルドレンと気づくまでの私の体験談
克服するための行動
アダルトチルドレンの特徴
- 自然体。→いい人演じ気味。頑張りすぎてしまう。
- 完璧主義→休み方がわからない。気づきやすいため人の嫌なところが目に付く。
- 本音を言えない→相手の正解を探し、自分の気持ちを話せない。
- 自分を好きになれない→親からの否定により自然体の自分を好きになれない
- 自分を大切にできない
- 自分さえ我慢すればいいと思っている→我慢が美徳
- 人前だけ明るい(エセポジティブ)→家に帰るとグッタリ
- いつでも不安。→彼氏いようが、友達がいようがずっと孤独。
- 自分軸でなく他人軸→他人が優先で自分は後回し
- 隣の芝生は青く見える
- 「●●なければならない」、「すべき」などの思考
- ストレス発散が出来ない、仕方がわからない
- 頼れない、甘えられない、一人で頑張る
- 見捨てられたと感じる(職場、友達、彼氏などすぐに返信ないと不安になる)
- 0か100か思考
- 人の役に立たないと自分の価値がないように感じる
- 休むことに罪悪感がある
- 断れない
- 持っている以上の力を出そうとする→キャパオーバーになりやすい
- 忙しい、不機嫌、悲しいと周りが思っていると常に自分のせいと思っている
- ずっとモヤモヤしている→本音が言えていないから
- 嫌われるかもしれない思考が強すぎる
- 自分がしたくない行動を取る
- 人と会うと疲れる
- 人の機嫌に敏感→すぐ気づき、顔色を伺う
- 親の期待に添うように生きていた→自分がしたいことを言えない子供だった
- 承認欲求が常にある
- いつ怒られるかびくびくしている
- 親に対して感じていたことを職場の人やパートナーに投影する
- 人を信用していない→何でも自分でやろうとする
- 自分が出来ないことにイライラし、癇癪を起す
- 職場での人間関係が毎回上手くいかない
さて、何項目当てはまります?
因みに私は全部です。
その結果、この思考が未だ捨てられず、変わりたいのに変わり方がわからないまま今にいたります。
だからこそ、常に愛情を求め、愛を安売りしてくれそうな人に飛びつくんです。
アダルトチルドレンを作り出してしまう親の特徴
- 「良い点とったらこれ買ってあげる」、「勉強しないと携帯没収」という。(これを監視と呼ぶ)
- 「●●しなさい」、「言うこと聞きなさい」という(これで認めてもらえないと自己肯定感が下がる。)
- 「面白かったでしょ?」「楽しかったこともあるはず」という(親の価値観を与え、子供を無意識に否定している。)
- 条件を満たす子しか愛さない=GIVE精神がない
- 兄弟、姉妹比較
- 親の言うことを聞けばいい子だと思わせる
- 親の嫌がる行動をすれば全否定
- あなたのために言っていると言う。(子供に感謝させる)
- これがあたりまえだから、みんなそうだからと言う
- お前よりもっとつらい子がいる。と不幸比較をして自分の子が大したことで悩んでいないと言っている。
- 大丈夫?などの声かけを子供にしてほしいと思っている(子供に自分のことを気遣ってほしいと押し付けている)
- 親の愚痴や辛かった出来事を子供に親身になって聞いてほしいと思っている。(聞かないと拗ねる)
- 子供の意見や思っていること、考えていることを否定する
- 母の大変さをアピールされる
- ずっと怒っている。イライラしている。親を困らせないでと言う。
- 「そうやってすぐ反抗する」「なんでこんなことするの?!」「ちゃんとしてよ!」「理解できない」と言う
- 子供の話は聞こうとしない。寄り添うことがない。
- ●●ってことわかってるの?と子供が理解していないと指摘する。
何項目自分の親に当てはまりますか?
因みに、私は全部です。
実は、私は大人になってから、母と喧嘩になった時に上記の件を訴えました。
しかし、認めることはなく、「あんたがこうなったのは自分のせい」だと言われました。
確かに「いい年して親のせいにするなんて」と思いながらこの感情をどこにぶつけていいのかわからず今に至ります。
さて、ここで考えてみたいことは、
アダルトチルドレンになった人の親は、アダルトチルドレンという言葉をご存じなんでしょうか?
あるいは、知っていても「自分のことではない」と、「たいしたことない」と軽視しているのでしょうか?
いじめと同じように、加害者は一切自覚しないものです。
その結果、被害者ばかりが損をします。
加害者はそんな記憶を忘れてしまい、幸せに生きていることが多いからです。
いじめと一緒で加害者は一切自覚しないものです。
被害者ばかりが損をし、生きづらさを感じ続けるのです。
この感情はなった人にしかわからず、理解してもらえないことが多いです。
このようにして、加害者と被害者の間には大きなギャップが生じます。
そこで、次に考えるべきは、このギャップをどのように埋めるかということです。
アダルトチルドレンがどのようにして過去の傷から立ち直り、前向きに生きていけるかについて、具体的な方法や支援策を見つけることが重要です。
生きづらい私の理由
実際、ずっと孤独なんです。
残念ながら、これを親にも理解されず、孤独を未だ感じ続けています。
こうした孤独感、そして理解されない辛さを抱えている方は他にも多いのではないでしょうか。
そこで私がどのようにしてこの孤独感に向き合っていけばいいのかを考えた時に、実際体験したことを感情と共に思い出して、整理するを第一段階にしたいと思いました。
次からは私の体験談とその時の感情を語りたいと思います。
姉も私もお互いに対して隣の芝生は青い現象を引き起こす
小学校に入るまでの私はなんていうか落ち着きのない子でした。
おとなしく座っていることはできず、母がどんな本を読み聞かせても他のおもちゃで遊ぼうとし、聞かない子だったそうです。
それでも母は私が嫌がっても読み続けたそうです。
その結果、私は『桃太郎』とか『浦島太郎』などの童話はほぼ知らずに育ちました。
おそらくこれが原因で本を読むことが未だ苦手です。
一方で姉とは4歳離れていて、そつなく平均以上できる人です。
しかし、姉は小学校に入ると母にテストの点数でずっと怒られていました。
母は「なんでお姉ちゃんは100点もとれないの?ひつじ(ブログ名で失礼します。)は頑張ってくれるよね?」
と圧をかけられたことがあります。
しかもまだ小学1年にもなっていな私に対してです。未だ記憶に残っています。
実際、私は姉よりかなり不器用で、テストで0点ばかり取っていました。
さらにお箸の持ち方が変だと気づくまでに15年ほどかかりました。大人になった今でも変だと指摘されることがあります。
その頃母は言いました。
「お姉ちゃんはちゃんとできたのに、あんたは教えないと何もできないんだね。」「見て学ぶとかできないんだね。」
「ほんと不器用だね。」
しかし、そんなちゃんと出来た姉でさえ、母に圧をかけられながら育ち、「怖かったから従うしかなかった」と思っているのです。
私はそんな姉を持つと、当然、不器用な部分を姉と比較されて育ちましたから
幼いころから姉が少し憎かったです。そして褒める要素がないのか、褒められることがありませんでした。
母が何に何で怒っているかわからず、ただ意味も分からず怖がっていました。
怒られることがただ怖かったのです。
姉は怒られるのが怖くて、どこを直したらいいかを分析し生きていたそうですが
私は分析するスキルはないので同じ失敗を繰り返し、
その度に怒られ、自己肯定感を失いました。
姉と私はお互いそんな状態だったとは大きくなるまで知りませんでした。
お互いがお互いを「いいなぁ。私みたいに怒られなくて」と思っていました。
「隣の芝生は青い」現象だったのです。
実際に姉は私を「母親に愛されていいな」と思っていたそうです。
結局、どちらも同じような経験をしていました。
嫌いな子がいて学校に行きたくなかったが、強制登校させられた。
私は小学3年生で恐怖体験をしました。
当時、学校に嫌いな子がいました。彼女は女子を支配するのに長けている子でした。
そのため彼女は有名で、学校内の女子の親御さんからも「あの子は気をつけた方がいい」と言われていたそうです。
そんなことも知らず、転入生の私は彼女と同じクラスになり、一番仲いい子になってしまいました。
今思えば彼女も何かと戦っていたのかもしれません。
こういう時、大人になって思いますが、
子供は何も悪くなくて、そう生きなければならなかった理由があるんです。
それを身近な大人が気づいてあげて、対処をしてあげることが大切なんではないかと思います。
彼女がどんな子だったか?
人を必要以上に支配しようとする
人のものを欲しがる(仲良くしている友達でさえ欲しがる)
自慢をする
他の友達と仲良くしていたらいじめに近い仕打ちを受ける
無理やり謝罪をさせる
口答えするといじめに近い仕打ちを受ける(身体的、精神的)
私がしたくないことを一緒にさせる(先生に怒られることをさせる)
人を否定し続ける(存在すら否定)
私の悪口を周りに言いふらす
私が言っていないことを他人に言いふらして、周りから孤立させる
残念ながら、この子から逃げることが出来ませんでした。
つまり私は親と同時にこの子からの支配も受けており、学校も家も嫌いでした。
親に訴えても「学校に行け」の一点張り。
そのため、「お腹が痛い」とか「頭が痛い」などと嘘をついたことがあります。
しかし、母は私が「仮病を使っている」と気づき、不機嫌になり、
「じゃあ病院行ってから学校行きなさい!」と圧をかけてきました。
誰も助けてくれずストレスが溜まっていきました。
今思えばこの頃から親は私の声を聞いてくれなかったんだと思います。
さらに、この異常な彼女とは小学校3年生と小学校5年生と同じクラスでした。
5年生も同じ目にあっています。
自然学校は1週間ありましたが、当然ながら恐怖でした。
なぜなら彼女の仕打ちが休むことなく続いたためです。
またその時の担任教師は彼女をえこひいきしていたため、私が何を訴えても助けてくれませんでした。
むしろ私が悪いくらいの勢いで私を怒ることがありました。このため、この教師は大嫌いでした。
この頃から
人の機嫌を伺う、気にし過ぎる。そしてびくびくする
コミュにケーションを苦手と意識する
孤独感
友達が出来にくい(人を信じない)
自分は馬鹿だからが口癖になっていた(33歳で他人に指摘されるまで気づかなかった)
こういった症状が出てきました。
中学校の時に、自傷行為が周りにバレる
自傷行為を始めたのは小学4年生の頃でした。
当初は手の産毛が気になり、はさみで切ってました。しかし、ある日手の甲を誤って切ってしまいました。
それが自傷のきっかけとなりました。当時は自傷の自覚はなかったものの少し楽な気持ちになったのを覚えています。
中学に入ると毎日のように自傷を繰り返していました。
手の傷は見えないところもそうですが、見えるところにも多数ありました。
周囲からはからかわれることもあり、例えば、ある子が私の傷を見て赤ペンで手に傷を描いて、「ほら見て~」と言ってきたこともありました。
この状況でストレスは増すばかりで、自傷行為は止まりませんでした。親も気づいていたかもしれませんが、その場合でも、私の心に真摯に向き合う言葉がなかったように感じます。
これが私は25歳まで続きました。
「~なければならない」という価値観で就職に失敗
大学でのことです。私は卒業論文を教授に褒められました。「君は就職よりも大学院に進むと良い。この大学の大学院ではなく、●●大学の大学院(かなり有名な大学)に行ける!絶対に行った方がいい!」とまで言われました。
その時、私は初めて人生で褒められたと感じ、とても嬉しく思いました。
しかし、親にそのことを話すと、「あなたには大学院なんて無理よ。就職が遅れたらあなたは就職できなくなる。」と言われました。
そして、「どこでもいいから就職しなければならない」と何度も言われました。
結局、私は親の言葉を信じて大学院進学を諦め、就職の道を選びました。
なぜあきらめたかって?
親を説得する武器を持っていない
親の意見を曲げてまで自分の意見を通すことが出来ない
親に「お前は何もできないんだから私たちの言うことだけ聞いてろ」って言われている気がした
自己肯定感が皆無なので親に否定された瞬間に親を肯定してしてしまう
自分の意見を素直に言えない
そのため、私は就職活動を始めました。当時は就職氷河期と呼ばれ、非常に就職が困難な時代でした。
結果として、100社以上に応募しましたが、どこからも採用されませんでした。
しかし、今振り返ると、就職氷河期だけが原因ではなかったと思います。
その理由は、自己肯定感がまったくなかったことです。自分が頑張ったことや自分の長所を全く書けず、常にマイナスな面ばかりが浮かんできました。そのため、書類選考や面接でも自分をうまくアピールできませんでした。
そのためキャリアアドバイザーに頼んで添削してもらい、
一緒に考えてもらってから就職活動が前よりも少し前進していました。
この時に気づいたことは
一つの物事に盛る癖がついた
素直じゃなくていいから、ふりだけしてみよう
ポジティブなふりをした
この時も同様に、ストレスから自傷行為が止まりませんでした。そして漸く冬頃に就職しました。
今振り返ると、この就職は本当に失敗だったと感じます。私はその職場に魅力を感じていなかったのに、ただ就職できればどこでもいいと思い、決めてしまいました。就職さえすれば、親に何か言われることもなくなるし、あの緊張感を何度も味わわなくて済むと思っていました。また、何百社も私を断ったのに、この企業だけが私を雇ってくれたことで、認められたと勘違いしていました。
しかし、この5か月後、〇〇未遂をしてしまいました。
両手をかなり深く切ったので何十針も縫いました。
母に怒られましたが、怒られている意味が分かりませんでした。
顔から、「面倒くさいことをして・・・」と言っているような気がしました。
なぜそんなことをしたのかは私もわかりませんでしたが
とりあえず、今がなくなれば楽になると思っていました。
本音で話せない。不安と嫉妬、恋愛に依存し続け、フラれ続ける
私は社会人になってから、急にモテ始めました。10代の頃は、心の病が表に出過ぎていたため、メンヘラ扱いされることが多く、男性から相手にされることはありませんでした。さらに、不細工だったこともあり、誰も私に興味を示してくれませんでした。
しかし、社会人になってからは状況が一変しました。メイクの技術が上達し、根暗な性格も上手に隠せるようになったことで、どこへ行っても男性からちやほやされるようになりました。この新しい環境に私は依存してしまいました。
他人からの評価に依存する傾向がありました。
はじめて承認欲求が満たされました。
私の恋愛はこんな悪循環でした
①恋人が出来る→孤独だった私の心を埋めてくれる
②連絡がないことで不安になる
③でも気にしていることを悟られたくないため気持ちを隠してしんどくなる
④本音で話さないため、何でも隠す性格になり、相手から「ほんとに好かれているかわからない」と言ってフラれる
➄自分は人にわかってもらえず、愛されることはないんだと感じる
⑥そしてまた孤独になり、彼氏を作る。
少し前までこの連続でした。
その結果未だ抜け出せていません。
結婚相談所の経験からマッチングアプリ依存症に
父から結婚相談所に登録することを提案され、
孤独感から抜け出せるならと思い、登録しました。
ただこの結婚相談所の登録が今後の私の行動の引き金になったと思っています。
結婚相談所があっていないと思った理由は
結婚を軽く考えていた(恋人の延長線だと思っていた)
承認欲求が満たされない
なぜか聞き役に回らないといけないことが多く、ストレスがたまり自傷行為が止まらなかった
これにより、私は速攻で退会しました。
その後マッチングアプリに手を出しました。
すぐに自分にあっていると感じ、
そしてマッチングアプリ依存症になりました。
その理由は
承認欲求満たしてくれる
理想の人にすぐ出会える
すぐに付き合うことが出来る(過去彼氏ほぼマッチングアプリ)
別れるのも気楽、始めるのも気楽、付き合うのも気楽
私の理想とする世界がそこに広がっていました。
承認欲求を満たしてくれるその環境は、私にとってまさに天国のようでした。
誰かと別れたとしても、その日のうちにマッチングアプリを利用するほど、私はその世界から離れることができませんでした。誰かがいないと寂しさを感じ、誰かがいないと不安になり、誰にも愛されていないのではないかという孤独感で苦しくなってしまうのです。
そのため、私はすぐにマッチングアプリを始めて、その感情を埋める作業に取り掛かりました。
マッチングアプリでの一時的な承認や愛情は、根本的な問題を解決していないことに気づいていました。
自己肯定感を外部の評価に依存する生活では、真の幸福感を得ることはできませんでした。
美容にお金をかけコンプレックスをなくすことが精神安定剤に
愛されないのは見た目のせいだと感じていました。そのため、私は自分の見た目が嫌いで、大きなコンプレックスを抱えています。
例えば、足が太いとか、顔が気に入らないとか、様々なことが気になります。もしお金があったら、全身整形をしているかもしれません。
そう思う理由の一つは、ずっと母から「姉より顔が大きい」とか「顎が出ている」、「目が細い」と言われ続けたことが原因です。私は母に「姉より顔が大きい」とか「顎が出ている」、「目が細い」と言わないでと頼んだこともありました。しかし、母は「なんで?大したことを言っていないのに、そんなことで傷つかないでよ」と笑いながら返してきました。
このような経験から、私は自分の見た目に対する強い劣等感を抱くようになりました。
自分の外見に対する不満は、他人の評価を気にする要因ともなり、自己肯定感の低下に繋がりました。
それで美容にお金をかけるようになり、それがストレス発散だと思っていました。
コスメを買い占める
過度なダイエットをする
エステに通う
二重整形をする
美容皮膚科に通う
服やカバン、靴などファッション系を買い占める
すべて合わせると、100万円は軽く超えてしまいます。常に自分が可愛い状態を保っていないと不安になるのです。
いつどこで私の見た目を非難されるかと思うと、怖くてたまりません。
だからこそ、見た目が可愛いと言って寄ってきてくれる人を、無意識に良い人だと認識してしまいます。
過去には、彼氏にすっぴんを見せたことが一度もありません。
必死でアイプチで二重にしていた時期があり、顔が大きいと言われないために、小顔メイクは欠かせませんでした。
プチ整形をしてから、そのストレスは多少軽減されましたが、それでも肌荒れがあると化粧品を大量に買ってしまう傾向があります。肌荒れしている自分には価値がないと感じてしまうからです
しかし、外見に対する執着がどれほど強くなっても、内面の不安や劣等感は完全に消えることはありませんでした。見た目を気にしすぎることで、自己評価を他人の意見に依存してしまい、真の自己肯定感を持つことができなかったのです。
妊娠・流産・同棲からフラれるまで
マッチングアプリで出会ったあるイケメン男性と付き合って2か月目で妊娠が発覚しました。
彼から「結婚しよう」という言葉を聞いて、私は幸せを感じ、自分が結婚できるのだと喜びました。
親の顔合わせや挨拶も済ませ、結婚に向けて順調に進んでいるように思えました。しかし、妊娠数週間で流産してしまいました。その時、彼は一緒に悲しんでくれましたが、同時に「結婚は急いでするものじゃないから、今はやめておこう」と言われました。
私はすごくショックを受けました。流産の悲しみだけでなく、結婚の話が白紙に戻ったことが重なり、二重のショックでした。そのため、親にはこのことを言えませんでした。
この出来事を通じて、私は深い悲しみと絶望を味わいました。愛する人と結婚できると思った矢先の出来事で、心のバランスを崩してしまいました。流産の悲しみと、結婚の話がなくなったことによる失望感に押しつぶされそうになりました。
母には「子供なんてまた作ればいいじゃない」とデリカシーのないことを言われました。私はそれにまたショックを受け、深く悲しくなりました。母は私がなぜ泣いているのかも理解せず、私が泣いていることに対して怒り続けました。
その後、彼は同棲することを提案してくれました。その時は幸せで、すぐに彼の家に行きました。
私は親元を離れた解放感をここで味わいました。
彼の家には猫もいて、しばらくの間、楽しく幸せに暮らすことができました。
しかし、私は彼に本音でぶつかることができませんでした。彼に怒られることや喧嘩することが怖くて、何かと隠したり、誤魔化したりする癖がついてしまいました。そのため、彼からの信頼を失ってしまいました。
彼から言われる言葉の数々で泣くこともありましたが、猫が癒してくれたため精神を保つことができました。
ペット療法があるというのは本当だなと実感。
同棲生活の中で、私は自分の内面と向き合うことの大切さを再認識しました。彼との関係において、隠し事や誤魔化しは信頼関係を崩す要因であると気づかされました。信頼を失った結果、私は一人で抱え込むことが多くなり、孤独感が増していきました。
彼と別れられなかった理由は
親に怒られる
結婚をすると言って顔合わせしたのに別れるなんて周りにどう思われるか怖かった
猫が精神安定剤だったため離れがたかった
が理由です。
彼と別れた時には解放感がありました。
「なんて楽なんだろう。なんて幸せなんだろう」と思い、割とすぐに前向きな気持ちになれたのです。
しかし、しばらくすると、また孤独感に悩まされるようになりました。ずっと前向きな気持ちを保つことができないのです。
依存、不安、嫉妬からコロコロ入れ替わり立ち代る彼氏
別れ話の後、すぐにマッチングアプリに登録し、すぐに彼氏ができました。しかしこの後から1か月単位で彼氏が変わり、長く続く人が現れませんでした。
出会った人たちはおそらく普通の人たちだったのでしょう。普通にシンプルに恋愛し、恋人がほしかった人。
なのに私は連絡がなかったりするとすぐに不安になり、LINEや電話を何度もしました。イライラすると、相手の電話に逆に出なかったこともあります。情緒不安定が誰から見てもわかります。それが重かったんだと思います。
その後彼らから音信不通になることが多かったです。その時は特に孤独感が増し、私なんて愛されないんだと感じました。私なんて愛してくれる人はこの世に一人もいないんだと思いました。
でも別れた後、なぜか少し苦しかったのから解放される瞬間があり、それが彼氏がコロコロ変わる理由でもあります。何度も味わう「解放感」が癖になっていました。
別れた時の解放感と言ったら高揚感と似ているかもしれません。
親から解放された時もそんな感じでした。
親から解放された時もそんな感じでした。実家を出た時に似ています。
もう一生、親から怒られることがなく、親の顔色を伺うことがないという解放感です。
だからこそ同棲していた時はまた親と一緒に住むことになるのではないかという恐怖感もありました。
あの家には絶対帰りたくないという気持ちから同棲を解消できませんでした。
結婚をちらつかせる男の言葉の暴力にも気づかず、身体的な暴力に発展
その後出会った人は結婚をちらつかせる人でした。
私はこの人に対して、私を愛してくれる人なんだと期待をしていました。
しかし、
彼はこんな人でした。
私が言ったことをすべて否定する→話すとき否定から入る
私に執着し、諦めてくれない→何度も何度も迎えに着たり、家の前で待ち伏せする(一人にしてくれない)
お前は俺意外と結婚できないと言う→サイコパスと私のことを呼んでいた。
言葉の暴力がひどい
マッチングアプリで出会った別の子を罵倒していた
職場の人の悪口が止まらない
俺はアパレルで働いているファッションの専門家だから誰よりもファッションセンスがあると言っていた
お前のために引っ越すんだからというのが口癖
最初は結婚をしてくれる人はこの人しかいないと思っていました。無償の愛をくれると思っていました。
だんだん私の身体が疲弊してきていることに気づき、耐えられず、「離れよう」と伝えました。
理由を聞かれ、理由を伝えると罵倒し、暴力をふるってきました。
怒鳴り声をあげ、手を挙げてきました。
私は怖くなり、泣きながら友達に相談しました。
友達が力になってくれて、事なきを得ました。
今でこそ思うですが何となく親に似ています。身体的な暴力こそ振るってこないですが精神的な暴力は似ている気がします。
今度こそ真実の愛だと思うも、勘違いだったことに気づき、メンタル崩壊
再度マッチングアプリで出会った男性とは3年ほど関係がありました。彼とは一度別れたことがあります。その時の私は今までと変わらず、彼と本音で話せず、誤魔化しながら関係を続けていました。彼はHSPの敏感なタイプで、すぐに相手の感情を読み取り、私がしんどくなっているのも察していたでしょう。別れを告げられ、私は再度愛されないことを悟り、涙が止まりませんでした。少し彼に思っていることを吐き出したところ、彼は私の言葉を面白いと感じ、復縁することはなかったものの、友達以上恋人未満の関係を続けました。
この関係は不安定で、しばしば不安を感じることがありました。その上、関係が崩れる恐れがある状態にまでなり、私はこの人から関係を断ち切られるのではと不安になりました。
なぜ彼との関係が断ち切れなかったのか?
彼は私に新しいことを提案し、挑戦させてくれるから
彼は私のスキルを一番に褒めてくれたから
彼がいることで少しの自信と本音で話せるようになったから
彼のアドバイス通りすると、うまくいくことが多かったから
彼が私を頼ってくれたから
彼は一緒にご飯を食べてくれたり、旅行に連れて行ってくれたりしたから
孤独感を感じさせてなかったから
毎日の電話で不安にさせることが少なかったから
これが理由です。
私は彼を誰よりも愛していました。
彼は私が欲しいものを全てくれる人でした。
ある日を境に、別れる不安がなくなりました。
彼もまた私に依存していることに気づいたからです。
でも彼は私と永遠にこの関係を続けると思っているのか?
それとも進展させようと思っているのかわからず、また不安になり始めました。
そんな時、妊娠が発覚しました。
彼に「育てることはできない」と言われ、中絶を選択。
最初は私がどうしたいかと真剣に話を聞いてくれました。
自分も真剣に考えると言ってくれましたが、何日経ってもそれについては触れないので私が話を切り出すと「俺には無理かな」と軽く言われました。
とても悲しい決断をしなければなりませんでした。
しかし気持ちが一方通行なら仕方ないと自分に言い聞かせました。また平気なふりをしたのです。
中絶するまでの期間、つわりがひどく何も食べれず、何も飲めず、すぐに吐くことから、立ち上がることもできず、
救急車で運ばれ入院することになりました。
彼は毎日のように私に電話をくれました。入院前までも毎日のように私に電話してきたので私はそれが好きでしたし、嬉しかったのです。
しかし、HSPの彼は敏感のため、弱っている私に寄り添うことが出来なかったのです。
寄り添いすぎるとその感情が移り自分がしんどくなることが分かっているからです。
そのため良い時は一緒にいるけど、悪い時は一緒にいてくれない人だと気づきました。
気づいた理由
妊娠している人に優しくない→いたわれない
病気、体調不良の人に優しくない(母親に対してでさえ。母親の体調不良より自分の時間)
自分の時間を何よりも大切にするので相手を気遣う行動は無駄だと感じている
体調不良の人を目の前に自分には何もできないから専門家に任せるべきと達観していて、
心配するのも無駄だと思っている
「検索力は大切!」と日頃から言うのに、妊娠中にしてはいけないことなどは調べる気がない
中絶後、いたわる言葉がない
体調不良の人にいたわる言葉がない
中絶後会いに来てくれたが、雑な言葉、雑な行動があった
3週間ほどの出来事でしたが、平気なふりをずっとしていました。
ただ少しずつ、
今まで信頼していた人に対しての失望感が生まれ、彼に対しての信用貯金が「0」になりました。
そして自分から距離を置くことになりました。
追い打ちをかけるように両親の馬頭と責め続ける言葉が私の心を崩壊させ、今ではうつ病の治療中です。
私は誰も助けてくれないと感じました。私の声は届かないし、誰も聞いてくれないと思いました。私は愛されないようにできていて、この人生はあきらめろということなのだろうと考えました。
愛されていると感じたことがないから愛し方がわからない
発言することは何度も否定され、「あんたは●●なんだから●●なければならない」と言われ続けていました。
自分の見た目から中身まで否定をされ続け、どこに自己肯定を持てというのでしょうか?
承認欲求を満たしてくれる人を愛するけど、
ばれるのが怖くて、怒られるのが怖くて、嫌われるのが怖くて、否定されるのが怖くて、それも自信がないから誤魔化したり、うそをついたりする。素直になれず、常に強がり、常に平気なふりをする。
愛し方も愛され方もわかりません。
だから恋愛は何度も失敗する。
誰もがわかること、だれもがすぐに気づくことに気づけない。
恋は盲目というけれどその程度じゃない。
承認欲求を満たしてくれる人なら誰でもいいと思っている。
アダルトチルドレンな自分とどう向き合うか?
まず自分がアダルトチルドレンだと気づくことです。
自分が生きにくいなと感じる瞬間があるならば、まずアダルトチルドレンの特徴を見てどれくらい当てはまる項目があるのかを考えてみてください。そして、アダルトチルドレンの体験談の本、ブログやInstagram何でもいいので読んでみてください。
そして自分は「アダルトチルドレン」かも?と思うことが大切です。
私は気づくことが遅く、何度も同じ失敗を繰り返し、私はちょっと心が弱く、変なんだと思っていました。
アダルトチルドレンと気づかなくても自分の感情が大分深刻なほどマイナスに進行していたのでその時に自分の心と向き合ってよけばよかったと思いました。自分の心と向き合うことは自分の人生を180度変えるきっかけとなるかもしれないのです。
またその向き合うためには自分の過去の体験と感情を隠すことなく語ることです。
私はブログという形を取りました。
誰かに話す前に整理しよう。言語化が苦手なので整理しようと。
その後は両親は私と向き合うことはできないのでカウンセラーという専門家が良いでしょう。
私はこの心を直さない限り、本当のポジティブにはなれないし、本音で話すことは一生できないし、仕事がしづらいし、結婚だってできないと思います。できたとしてもきっとまた選択を誤るような気がします。
つまり聞いてもらえる環境を作るということは第2段階目に考えることです。
またこれからの心のケアをブログに書きたいと思います。
私はてんかん持ちです。てんかん症状をご存じですか?私はあまり自分の症状に向き合っておらず、目をそらしていました。今回症状が出たことで自分の体のこと、見直そうと考えました。30代女が体験したてんかん発作を語ります。
※画像をクリックすると記事を読むことが出来ます。
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